「英語が話せる」と「英語で仕事ができる」のあいだ ― 大徳寺瑞峯院の茶道体験の通訳で考えたこと

先日、京都・大徳寺の塔頭である瑞峯院で、海外からの旅行者の茶道体験の通訳をしました。

和尚さんが自らお茶を点て、法話を聞かせてくださる場です。この日のゲストは、イギリスから来られたお二人でした。

その時間の中で、ずっと心に残っていることがあります。

お点前をしてくださった和尚さんは、英語で説明しようとはされませんでした。ご自身が最も正確に表現できる日本語で、お茶のこと、道具のこと、所作の意味を話され、その先を通訳である私に委ねてくださいました。

茶道の歴史についての一般的なお話ももちろんありましたが、日本語だからこそにじみ出る深いお話になったのは、千利休の茶の湯の教えについて語ってくださったときです。

和尚さんによると、千利休は、大人数で行っていた茶の湯を、限られた人数で行う形に変えたそうです。茶の湯では秘密を守れる信頼関係が築けると評判になり、武士のあいだで急速に広まったとのこと。三、四人の少人数で秘密の話をすれば、誰かが漏らしたとき、誰が言ったのかすぐにわかりますね。

最初は緊張していた客同士も、一杯のお茶を共有し、正式な茶事であれば半日をかけて過ごすうちに、互いに打ち解けていくといいます。では、なぜそれほど時間をかけるのか。武士は戦う人です。戦いに出れば、もう二度と会えないかもしれない。だからこそ、最期になるかもしれない時間を気の置けない仲間とともに過ごし、そして戦いへ出ていった。そんなお話でした。

自然とこのような話になるのは、やはり日本語だからではないでしょうか。

和尚さんはお茶に向き合い、私は、和尚さんが伝えようとしていることを受け取って、目の前の旅行者に届く言葉にする。そこには、とても自然な役割分担がありました。

その場の中心にあったのは、「誰が英語を話せるか」ではありませんでした。

何を伝える人なのか。
そして、それを誰が、どのように相手へ届けるのか。

そのことの方が、ずっと大切なのだと感じた時間でした。

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「話せる」と「通訳できる」は、同じではない

最近は、ドライバーさんやお店の方が、旅行者と直接英語でやりとりする場面が増えました。事業者さんの中にも、ご自身の言葉で伝えようと、英語で話してくださる方が少なくありません。

直接のやりとりでお互いの距離が縮まっていく様子は、見ていて微笑ましいものです。ゲストもその交流を楽しまれるので、そうした場面では私も一歩下がるようにしています。

けれど、外国の方と日常会話で交流できること、英語で接客ができること、日本文化について英語で説明できること、専門家の話を正確に通訳できること、そして旅行者を一日ガイドすること。これらは、言葉は同じ英語でも、それぞれ違う力です。

特にガイドの仕事では、語学力だけでは足りません。

私は、ガイドに必要なのは

語学力 × 知識 × ガイディング技術 × ホスピタリティ × 現場対応力

という、掛け合わせの力だと考えています。

たとえば東大寺で、大仏の高さを英語で説明することはできるかもしれません。でも実際の現場では、旅行者が大仏を見上げた瞬間の表情を受け取り、その人が何に関心を持っているのかを知り、奈良時代や仏教の話へとつなげていきます。思いがけない質問に答え、時間を見ながら、次の場所へご案内します。

数字を英語で言えることと、その一連の時間をつくることは、同じではありません。

英語は、そのために使う大切な「道具」の一つです。

もちろん、語学力が軽くていいということではありません。プロの通訳ガイドにとって、高い語学力は欠かせない土台です。言葉が正確でなければ、和尚さんのお話も、土地の物語も、相手に届きません。

ただ、それだけではガイドにはならない。現場に立つたびに、そう感じています。

イタリア語をゼロから始めてみて

最近、仕事とは関係なく、遊びとしてイタリア語を少しずつ学び始めました。

最初に覚えたのは、こんな簡単な表現です。

Mi chiamo Tomoko.
Sono Tomoko.
Siamo la famiglia Takeda.

これだけでも、「少しイタリア語が話せる」ような気持ちになります。旅先で注文をしたり、自己紹介をしたり、簡単な会話ができるようになれば、「イタリア語を少し話せます」と言ってもいいのかもしれません。

でも、そのイタリア語で日本文化を説明したり、予想していなかった質問を理解して答えたり、旅行者を一日ご案内したりできるかと考えると、まったく別の話です。

ゼロから新しい言葉を学んでみて、改めて見えてきました。

「外国語が話せる」
「その外国語で接客できる」
「その外国語で専門的な仕事ができる」

この三つのあいだには、思っている以上に距離がある、ということです。

「英語ができる人が必要」の、その先へ

インバウンドの受け入れを考えるとき、「英語ができる人が必要だ」という話になることがよくあります。

でも、そこで一度立ち止まってみてもいいのかもしれません。

必要なのは、受付での対応でしょうか。
飲食店での接客でしょうか。
文化体験のサポートでしょうか。
施設のご案内でしょうか。
専門家の話を伝える通訳でしょうか。
それとも、一日を任せられるガイドでしょうか。

仕事によって、求められる語学力は大きく違います。

すべてのスタッフに高度な英語力が必要なわけではありません。簡単な英語と笑顔で十分に心が通う場面も、たくさんあります。

一方で、専門的な通訳やガイドが必要な場面を、「英語が少し話せるスタッフ」が担うのは、本人にとっても負担が大きいことがあります。

だからこそ、最初に考えたいのは、

「この仕事では、外国語を使って何をする必要があるのか」

ということではないでしょうか。

瑞峯院のお茶室で、それぞれが自分の仕事に向き合う

大徳寺でのあの時間を思い返すと、和尚さんは和尚さんとして、お茶に向き合っていらっしゃいました。千利休の教えも、ご自身の言葉である日本語で語られました。私は通訳として、その言葉を受け取り、届けることに集中していました。

これは、「英語ができないから通訳を頼む」という単純な話ではないと思います。

専門家は、専門家として最高の仕事をする。
通訳は、通訳として最高の仕事をする。

それぞれが自分の役割を大切にしたとき、旅行者が受け取る体験は、ぐっと深くなります。お茶室で過ごしたあの時間も、きっとそうだったのだと思います。

インバウンド対応というと、どうしても「英語を話せる人を増やそう」という方向に話が進みがちです。それも大切なことです。

けれど、その前に考えてみたいのは、

誰が、何を伝えるのか。
そのために、どのくらいの語学力が必要なのか。
そして、その言葉を誰が旅行者へ届けるのか。

ということなのかもしれません。

ガイドは、旅行者と地域・人・文化をつなぐ

私はガイドとして、「英語が話せる人」であることを仕事の中心には置いていません。

旅行者と、地域の人、その土地の文化をつなぐこと。そのために、語学を含めたいくつもの力を使うのが、ガイドの仕事だと考えています。

地域には、それぞれの分野で長い時間をかけて仕事を磨いてきた方がいます。その方が、いちばん伝わる言葉で語ってくださる。私たちガイドは、その言葉と想いを受け取り、旅行者に届く形にしてお渡しする。

あの日のお茶室で見えたのは、そんな役割分担のかたちでした。

一杯のお茶と、二つの言葉を通して、亭主も客も、そして私も、ひとつになる時間。茶道では、その部屋にいる全員が同じ場を共有します。

和尚さんは、英語でゲストと直接話されることはありませんでした。その代わりに、通訳である私も客の一人として迎え、お茶とお菓子でもてなしてくださったのです。

通訳という存在に、その場の居場所を与えてくださった、素晴らしいひとときでした。

きよらトラベルのツアーでは、専門的な場において事業者様とお客様をお繋ぎするため、日本語を通訳する場があります。
ひとつの場を共有し、一体となって旅行者の方の満足感と事業者様の専門性を高めるためです。
そして通訳者もツアーの一員であり、互いを尊重し合う場として旅がある、とのメッセージを伝えるためです。

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