江戸時代の町並みを歩く|奈良・今井町ウォーキングで巡る歴史と見どころ

今井町の伝統的な町並み

奈良県橿原市にある今井町。
細い通りに足を踏み入れると、格子戸のある町家や白壁の建物が並びます。
現代から江戸の町へタイムスリップをしたような感覚になります。不思議ですね。

今井町は、ただ古い建物を見るだけの場所ではありません。町を歩きながら道の形や町家の造りに目を向けてみると、この町がどのように生まれ、人々がどのように暮らし、町を守ってきたのかが少しずつ見えてきます。
驚くことにこの町は江戸時代から引き継がれる家に実際に人々が暮らしているということ。
町全体が江戸時代から現代まで引き継がれるという奇跡的な場所です。

今回は、そんな今井町を歩いて楽しむために、歴史と文化、見どころ、そして散策途中に立ち寄りたい場所をご紹介します。

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今井町はどんな町?

まず知っておきたいのが、今井町がどのように生まれた町なのかということ。
現在は静かな町並みが広がっていますが、その歴史をたどると、寺を中心に形成された町として発展してきた背景があります。
後に大坂や堺と交流がさかんになり、商業の町としても栄え、多くの商家が軒を連ねるようになりました。

町の入口から

近鉄橿原線八木西口駅から出口をでるとすぐに蘓武橋を渡ります。
橋を渡ると今井町の入口です。
今井町は平成5年12月8日に「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されました。
東西約600メートル、南北約310メートル、周囲は環濠に囲まれ、9つの門から出入りをされていました。
江戸時代は戸数1000軒、人口約4,000数百人を擁する財力豊かな町でした。
江戸時代には南大和最大の町として今井札と呼ばれる銀札を発行するまでになったのです。

今井町は一向宗の門徒が、今井に称念寺を開き、自衛のため武力を養い、環濠をめぐらしました。
織田信長に抵抗したものの、明智光秀を通じて信長に降伏し、事なきを得て、のちに「万事大坂同前」として自治権を許されたという歴史があります。

江戸時代の平和な世を経て、近代の戦火に見舞われることもなく、
今井町は町全体が残されたまま現代を迎えることができました。
このあたりの近代化の中心は一駅向こうで発展したため、江戸時代の建物がそのまま現在も残されているのです。
このような意味で今井町は日本の歴史的な建物が町全体で残る奇跡的な場所と言えるでしょう。

今井町の入口を流れる飛鳥川

今井町の東側を流れているのが飛鳥川です。
橿原市の今井町紹介でも、「飛鳥川の流れにかかった蘇武橋を渡ると」今井町に入ると紹介されています。
町歩きを始めるとき、すぐに町家の並ぶ路地へ向かうのもよいのですが、少しだけ飛鳥川のほとりに目を向けてみてください。
そこには、今井町と水との関わりを伝える「蘇武井」があります。この井戸には、聖徳太子がこの水で喉を潤したという伝承が残されています。もちろん、聖徳太子が実際にここで水を飲んだことを歴史的事実として確認できるわけではありません。あくまで、この土地に伝えられてきた物語として受け止める必要があります。

しかし、こうした伝承が長く語り継がれてきたこと自体に、この場所と水との深い関係を感じます。
蘇武井の水は、日照りが続いても枯れることなく、「今井千軒」と呼ばれた町の人々を潤したとも伝えられています。
蛇口をひねれば水が出る現代とは違い、井戸は暮らしを支える大切な場所でした。

今井町の町家

今井町散策でぜひ注目したいのが、通りに並ぶ町家です。
格子、虫籠窓、屋根、壁、軒……。
一見すると似ているように見える建物も、少し立ち止まって観察すると、それぞれに違いがあります。

なぜ窓はこの形なのでしょう。なぜ通りに面して格子があるのでしょう。
「ここで人々がどんな暮らしをしていたのだろう」と想像しながら歩くと、町歩きがぐっと面白くなります。

今井町の建物は東と西とで形式が違うことに気付かれたでしょうか。
実は西にいくほど建物の形式が新しくなるのです。
かつて住み込みをしていた丁稚奉公が、離れに住むようになり、2階を住居として使用する必要がなくなったという事情があります。

奈良県橿原市今井町にある高木家住宅の木格子と瓦屋根の外観

本町筋から

今井町の伝統的な町並み

映画やドラマ、写真撮影などで必ずといっていいほど使われるのが本町筋の街並みの風景です。
ここはお豆腐屋さんなどの昔ながらのお店はもちろん、カフェやレストランなども軒を連ねる場所です。
皆さんがよく知る俳優さんもここで撮影され、近くのカフェで休憩されたというお話も聞きます。

電柱の地中化によって現代らしくない風景を感じることができます。

今井町の中心となった称念寺

奈良県橿原市今井町にある称念寺の伝統的な木造山門

今井町を歩くうえで、その成り立ちを知るために欠かせないのが称念寺(しょうねんじ)です。
「今井御坊」「南之御堂」とも呼ばれる浄土真宗本願寺派の寺院で、現在の今井町は、この寺を中心とする寺内町として発展しました。

橿原市によると、天文年間(1532~1555年)、本願寺の今井兵部によって称念寺が建てられたことが、今井町の起こりとされています。戦国時代には寺院を中心に人々が集まり、周囲に濠や土居を巡らせた町が形成されました。

称念寺はその後も、大和における浄土真宗の重要な寺院として歴史を重ねました。現在の本堂は江戸時代前期の建立と考えられ、国の重要文化財に指定されています。

そして、称念寺の歴史でもう一つ注目したいのが明治10年(1877年)の明治天皇の行幸です。

この年、明治天皇は称念寺を行在所として今井町に滞在されました。当時は、九州で西南戦争が始まろうとしていた緊迫した時期でした。称念寺の公式情報によると、明治天皇は2月12日、熊本城危機の知らせを受けて大阪の道明寺へ向かい、その後、堺へ進まれたとされています。

私は今井町を案内してくださったボランティアガイドの方から、この出来事について教えていただきました。

戦国時代に寺内町の中心となった寺が、約300年後の明治時代には、近代日本を大きく揺るがした西南戦争の始まりと重なる時期に、明治天皇の行在所となっていたのです。

称念寺の前に立つと、今井町の歴史は江戸時代の町家だけにとどまらないことに気づきます。
戦国時代の寺内町の成立から、江戸時代を経て、近代国家へと移り変わる明治時代へ。
称念寺は、今井町が歩んできた長い歴史を一本につないで見ることのできる場所でもあります。

河合酒造

今井町は多くの酒蔵がありました。今は河合酒造だけが営業され、ここで販売されています。
試飲も出来る場所で、昔ながらの日本酒が楽しめます。

ひと休みに立ち寄りたいHackberry

歴史をたどりながら歩いたあとは、少し休憩したくなりますね。
そんなときに立ち寄りたいのが、今井町にあるカフェ Hackberry(ハックベリー)です。
大きな榎木のそばにあり、古い建物を生かした空間には、アンティークやヴィンテージの家具や雑貨が置かれています。

私がHackberryを訪れると、何人かが順番を待っていることもよくあります。
そして、名前を呼ばれて案内されるときも、少し楽しみがあります。
階段を上った先の席だったり、階段の下にある空間だったり。
今日はどこへ案内されるのだろう、と毎回少しわくわくするのです。

なかでも私が好きなのは、洋書に囲まれた部屋です。
並んでいる本を全部読むことはできたら、と自分の英語力を試したくなりますが、それはさておき。
洋書に囲まれて座っているだけで、なぜか落ち着くのです。

今井町では、文化財の建物を「見る」だけではなく、古い建物が現在の暮らしの中でどのように使われているのか、
どのようにして昔の建物を維持しながら今の暮らしをされているのか、についても注目してみるのも面白いものです。

今井町のハックベリーで提供される、ベリーを添えた抹茶チーズケーキ

今井町の歴史を知り、実際に町を歩いてみませんか

今井町の魅力は、江戸時代の町家が美しく残っていることだけではありません。

称念寺を中心に寺内町として形づくられ、商業の町として発展し、人々の暮らしを支えた水や酒造りの文化があり、そして現在も生活の場として受け継がれています。町を歩きながら一つひとつの背景を知ることで、格子や白壁の向こうに、この町が重ねてきた時間が見えてきます。

Kiyora Travelの本ツアーでは、今井町の歴史的な町並みを実際に歩きながら、建物を見るだけではわかりにくい寺内町の成り立ちや町家の特徴、土地に残る物語などをご案内します。

この記事をきっかけに今井町に興味を持たれた方は、次は実際の町を歩きながら、その歴史を感じてみてはいかがでしょうか。


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